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北海道タイドットコムの特別ゲスト
札幌昭和会 会長中村達也様
北海道、札幌の塗装組合からタイへ:図書館を送る活動について

図書館を贈る活動について
北海道タイドットコム:タイの農村に図書館を贈ろうと思ったきっかけは?

中村 達也さん: 札幌青年会議所に所属し平成9年「国際協力委員会」の副委員長としてタイの協力事業に参加し、北海道地球市民の会の阿部功氏と知り合い、タイのNGOファンドフォータイフレンズのジャナロン氏の貧しい農村部でのボランティア活動に共感しました。

平成10年、本業の札幌塗装工業協同組合青年部会が設立10周年の記念事業について検討していたので、タイの国際協力ボランティア事業について説明し相当に議論し、役員会にて決定したのです。事業自体は平成11年2月に行いました。

北海道タイドットコム: どのようなかたちでタイへの図書館寄贈のボランティア活動を進めていったのですか。

中村 達也さん:北海道地球市民の会の阿部氏の協力を得て現地NGOのジャナロン氏(奥さんは日本人)の協力の元行いました。

北海道タイドットコム: 活動で苦労されたことは?
中村 達也さん:計画段階から沢山ありましたが参加するメンバーを集うことが大変でした。

北海道タイドットコム:
この活動に参加した人たちは何人ですか?また、参加者たちの感想はどうでしたか。
中村 達也さん:最初は11人で2回目が12名3回目が12名今年は6名でした。

北海道タイドットコム:図書館を贈られた村の人たちの反応はどうでしたか。

中村 達也さん:大変喜んでいました。外国人を見るのが初めてという村人ばかりでした。

北海道タイドットコム:図書館を贈ることによってタイの人たちにどのような影響があると思いますか?

中村 達也さん:日本の事や日本人の事を知ってもらい日本という国、日本語に興味を持ってもらいました。

北海道タイドットコム:
この活動を通しての感想、感じたことなどお聞かせください。
中村 達也さん:人間としての本当の豊かさとは何であるのかを考えさせられます。

北海道タイドットコム:
この活動の幅を広げることなど将来的にどのような考えをおもちですか。

中村 達也さん:もちろん継続していきたいのですが、個人の旅費がネックになります。
北海道タイドットコム: この記事を見て「活動に参加したい」いう場合はどのようにしたらいいですか。

中村 達也さん:今後の活動は今のところ未定です。



タイについて
北海道タイドットコム:. 初めてタイに興味をもったきっかけは?
中村 達也さん:アジアの中で国際協力事業として現地に赴くためにはやはり現地の治安が良い事

北海道タイドットコム:
タイの第一印象はどんな感じですか?
中村 達也さん:人々の笑顔

北海道タイドットコム:タイのどんなところが好きですか?
中村 達也さん:歴史があって仏教を大事にしているところ。

北海道タイドットコム:タイへ何回行ったことがありますか?
中村 達也さん:10回以上行ってます。

北海道タイドットコム:初めてタイへ行ったのはいつですか?
中村 達也さん:平成9年だと思います。

北海道タイドットコム:タイ人と日本人の違いはありますか?違うとしたらどんなところですか?
中村 達也さん:同じ仏教徒なので礼儀正しいところは大好きです。
日本人の豊かさと、タイの豊かさの考え方。

北海道タイドットコム:タイ料理で好きなものを教えてください。
中村 達也さん:地鶏のから揚げ、温野菜の炒め物

北海道タイドットコム:タイ料理で“これだけは食べられない”というものはありますか?
中村 達也さん:パクチー

北海道タイドットコム:タイに行った時の過ごし方で一番好きな過ごし方は?
中村 達也さん:村人と身振り手振りで会話すること

北海道タイドットコム:
タイではおもにどんな所へ行きましたか?おすすめの場所はありますか
中村 達也さん:チェンマイのゾウ公園、パタヤでのリゾート

                    The END
札幌昭和会 会長中村達也様の特別日記
札幌昭和会
35周年記念プロジェクト

私達は豊かな国、日本で生まれ「先進国」という環境の中で生活しています。
日本の周りには、「発展途上国」に生まれ生きるために、生活していくために、最低限の必需品さえ満足に得られない子供たちが大勢います。
どこの国、どこの地域に住んでる人も、私たちと同じ地球に住むひとりの市民です。

10年前、札幌の塗装組合青年部会は10周年の記念式典や記念誌の発行をやめ、その予算でタイの貧しい農村の小さな学校に図書館を寄贈し、メンバー自らが現地に赴き自分たちの手で寄贈した図書館に仕上塗装をする「国際協力ボランティア事業」を行った。
それから3年間に渡り、札幌の塗装組合ではこの「国際協力ボランティア事業」を継続しました。



札幌昭和会は塗料メーカー・塗料販売店・塗装業者の有志で構成し業界発展のために35年前に設立された会です。ちょうど二年前、役員会では35周年を迎えるにあたり35周年プロジェクト委員会を設置しました。
タイの「国際協力ボランティア事業」は当事経験したメンバーもいて、積立金もあるのだからと言う事で35周年記念事業はタイの協力事業にすんなり決まったような雰囲気であったが、折からの不況、不景気の波、この時期ツアーに参加するメンバーが要るのだろうか?不安は当然あった。
しかし、今この不景気だからこそ元気の出る事業を札幌から全国の昭和会やこの業界に発信しようではないか。不況不景気だから何でも縮小するのは札幌昭和会の先輩たちに申し訳ないし、この業界の発展のために、出来るところまでは努力しよう、やれるところまでやってみよう。

昨年の8月頃より札幌の「地球市民の会」の協力を頂き、地元NGO「ファンドフォー・タイフレンズ」に連絡を取りながらプロジェクトは発進した。

2009年2月18日千歳空港は前日の悪天候で飛行機が飛ばず国内線は大混乱していた。
結局、今回ツアーに参加出来たのはメンバー5人と10年前もこの事業に協力いただいた添乗員1名の計6名である。経験者4名要るのだから何とかなるさ、強力なメンバーなのだ、しかし、現地での塗装作業は間に合うのだろうか?不安はあった。
我々の荷物は国際線の出発前に重量オーバーで追加料金が掛かるとのこと、それはそうだろう、子供たちへのプレゼントのノートや鉛筆、消しゴムに雪まつりの絵葉書、すべて100セット、それにスポーツ用品、さらに塗装用工具20人分すべて(ダンボール5個程度)自分たちのボストンバックに詰め込んだのである。追加料金15万円です。
そこはやっぱり馴れた添乗員である、「ディスカウント」「もっと負けろ」交渉すること5分程度、7万円まで負けてくれました。

2月19日夜中の0:05タイ国際空港スワンナプームに到着、国内線のドンムアン空港に移動しホテルで休憩後、現地時間9:40バンコクから東北に500キロ程度のウドンタニ空港へと飛んだ。
ウドンタニ空港にはすでに学校の先生達が迎えに来ていました。
今回通訳をお願いしていた地球市民の会のチャクリス氏(北大に留学経験のあるタイ人)が急遽仕事の都合でこれなくなり変わりにチャクリス氏の友人であるコーンケーン大学(ウドンタニから南に200キロ程度の町)の教授の生徒2名(タイ人日本語専攻)が急遽朝早くバスで空港まで来ていただき一緒に迎えてくれた。又、今回地球市民の会に地元ウドンタニで協力しているウンユさんも一緒だ。ウンユさんはタイのNGOファンド・フォータイフレンズの活動に共感し、地元の学校の校長先生退職後こういったプロジェクトにボランティアとして活動している方だ、もちろん今回のプロジェクトを図書館建設予定の場所選定から建設まで携わっていただいた方である。

ウドンタニ空港から学校までは約90キロ、車で2時間半程度とのこと、この学校ではガスコンロとガスボンベが不足していると校長から事前の要望があったので、ウドンタニ市内のスーパーで購入することにした。又、我々も前回の経験から脚立足場がなく苦労したので今回は一緒に購入することにした。
ウドンタニ市内には大きなスーパーが結構あるし、資材販売の大型店もある。
学校で用意してくれたトラックに荷物を積み、我々は小型ワゴン車に乗り込み早々出発した。



大型店であることや、通訳を通しての買い物であるから相当に苦労した。ウドンタニ市内で1時間程度の買い物を終え、学校へと向かった。
途中、食堂によって昼食をとった。食堂と言っても屋台に毛がはえた程度の店である。
こうゆう所は現地の人しか食べないから日本人には味が合わないんだろうなと思いながらラーメンとチャーハンいう響きの良い日本語訳の言葉を聴いてラーメンとチャーハンを頼んだ。さすがに食堂内はハエがうるさく、ちょっと不衛生な感じであるがこれは覚悟していたことなので我慢できた。ラーメンは鶏がらスープに鳥の団子が入り、麺は日本の春雨風だ。思っていた以上に美味しい!ラーメンもチャーハンもこれなら全然大丈夫。

昼食後、車は学校へと向かった。しばらくは舗装道路であるが見える景色は赤茶けた乾いた土と干からびた畑と原野、サトウキビをいっぱい積み込んだ大型トラックは今にもサトウキビが倒れてきそうである。どこまで行っても景色は変わらない。

車は大きく右に回り奥へ奥へと入っていく、右に曲がり左に曲がりこんなにややこしい道に入ったらもうココはどこって感じだ。民家がところどころにある。車は容赦なく奥へ奥へと入って行く、いきなり道路は赤土むき出しでアップダウンである。雨が降ったら当然ぬかるみの道になり車やバイクは走れないのではと思うような道路である。
しばらくすると中学校が見えたが今回の学校はまだ奥だと言う。
14:30頃ようやくウドンタニ県アンプーチャイワン、タムラオ、タンボン、カンボン村学校に到着した。

生徒達や先生方が整列して我々を迎えてくれた。みんな手を合わせ「サワディカー」「サワディカップ」女生徒は軽く膝を曲げる。生徒たちの目は我々に向けて輝いて微笑んでいる。
校長先生を紹介していただき、我々は軽く頭を下げながら手を合わせ「サワディカップ」そして「宜しくお願いします」と握手を交わしたが校長は女性であったせいかちょっとためらいながら手を出した。
小さな門を入った学校は校長、職員室の棟、4教室ある棟が二つ、食堂のような棟、それに台所用の棟がある。今回寄贈した図書館はその間に立派に建っていた。当初日本に送られて来た図面の図書館とはずいぶん違って思っていた以上に大きいのだ。
そして、大きなグランドにはサッカーゴールがあり、バレーボール用のネットもあった。
この学校には5歳から12歳までの生徒101人と先生と校長8名が赴任している。

休憩をさせていただき氷の入った冷たい水と地元のバナナを生徒たちが運んでくれた。
そして対面式が始まり我々が持って行った支援物資を生徒達や学校にプレゼントした。
しかし、我々は完成した図書館への仕上塗装の方が気になり休憩どころではなかった。明日まで完成させなければならないので早々塗装作業を始めたかったのである。
ところがバンコクから届くはずの塗料がまだ学校に届いていないのである。日本に連絡を取り状況を把握することにしたが、間違いなくバンコクから大日本塗料の日本人職員が向かっているとのことであったので、あせる気持ちを抑えながらガムテープ等で養生作業を行いしばし休憩していたのだが、校長先生から通訳を通じてなんと明日の10:00から図書館の寄贈式を行うとのこと、その寄贈式にはすでにこの地域の教育長、校長のリーダー、周辺の校長先生数名この村の村長など来賓として呼んでいるとのこと、我々はそれを聞いて一同真っ青!
しかしいまさらあせってみても塗料が来ないのであれば仕方がない、このままで寄贈式を行うしかないのかなと思ってもみました。

我々は村人や生徒たちとの交流を通訳のバナナちゃん、ウサギちゃん(これは日本人がすぐに通訳の女子大生の名前を覚えやすいようにとの配慮で彼女たちが考えたようだ)
にお願いしたおかげで会話や遊びを楽しむことができました。
そして、我々は名札に自分の名前(ナカムラタツヤ⇒たつやさん・ヤマガタマコト⇒やまさん・タカクノブオ⇒たかさん・イシバシフミオ⇒いしじい・ヤノヨシヒロ⇒やのさん)をタイ語で書いてもらい交流を深めるようにしました。
特にいしじいはポラロイドカメラで沢山生徒や村人を撮っていたせいか1番人気がありました。

あたりは薄暗くなってきた。学校で用意してくれた夕食の時間である。今の時代は便利になった、塗料搬送中の日本人安友さんとようやく携帯電話が繋がり居場所が分かった。何度か学校に電話したそうだが本人は今日中に届けるように言われていたとの事。日本とタイの時差は2時間だが一日間違った打合せミスだったようだ。
我々は明日朝早く作業をし写真に入る正面だけでも寄贈式に間に合うよう仕上その他の部分は寄贈式が終わってからに行うことで、今日はゆっくり学校の食事を頂きビールを飲んで早めに寝ることにした。
ビールは添乗員の伊藤さんが学校の車を出していただき近くの店まで買いに行ってくれたものだ。もちろん氷も必需品。
学校の食事は台所棟で村のおばさん達が作っているようだ。
温野菜やチャーハンにスープに卵焼き全然平気に食すことが出きました。

夜7:00ようやく大日本塗料が到着しました。日本人の安友さんに現地の職員2人が申し分けなさそうに降りてきました。今日はウドンタニのホテルに宿泊し明日早く手伝いに来ますとのことで打合せを行い早々にウドンタニへと戻った。

我々の寝床は職員室に使っている部屋、校長室の隣である。先生方が我々のために蚊帳を張りマットと毛布それに扇風機を3台も用意していただいた。
夜空の星は格別の輝きを放っていた。気持ちよく眠ることが出た。

翌朝、我々は誰ともなく4:30には起きていた。5:00には作業を開始していたのである。あたりは真っ暗であったが、幸い図書館の入口と内部には蛍光灯があって薄暗いが作業が十分出来る状態であった。まだ寝ている職員が居たので、寡黙な作業状態ではあったが前日の段取りが良かったのであろう思った以上に作業は進んだ。又、朝のまだ涼しい時間帯も幸いしたのであろう。
8:00には大日本の安友さん他2名も到着し作業に加わっていただいた。
先が見えた。十分に寄贈式には間に合う一同安堵の気持ちになった。
8:00には朝食だった。これは美味しい、朝早くから身体を動かしたせいか、鳥の団子の入ったお粥である。みんな2杯3杯とお代わりをしていた。
8:30学校の生徒と一緒に朝礼をし、国旗掲揚と朝の仏教への感謝の読経。
休むまもなく塗装作業に入ったが、ここで生徒10名程に塗装の手伝いを募集したところなんと20名以上の生徒が手を上げ生徒達と一緒に最後の仕上作業を行うことが出来た。多少身体や衣服にペンキが付いたようだがそれは彼ら達の勲章のようにも見えた。
この図書館の色彩を考えてくれたのは、札幌の設計事務所で札幌の景観色70色にも協力していた2人の女性です。彼女達はこの事業に共感し、是非図書館の色を提案したいということで、タイの村に合った色彩を提案していただきました。壁は赤土に合った薄いクリーム色そして建具類は黄緑とピンク色、今回は黄緑を採用しました。

その頃、図書館の裏では我々のために村の牛を一頭絞めて今日の寄贈式で食べていただくとの事、校長からの特別のおもてなしだそうです。村の人が見に来いとの事、残酷だというのが正直頭をよぎった。しかし我々のためのおもてなしに眼を背けるわけには行かない。勇気を振り絞り感謝の気持ちで、生まれて初めて牛の解体を目にした。日本では当たり前のように牛肉を食べているのに、我々はいつの間にか本当の命の尊さを忘れているような気がした。

いよいよ寄贈式である。最初の挨拶を頂いたのは、教育長のプラジューン氏である。
「この学校の生徒は毎日この図書館で勉強し、大人になったら貴方達のように困っている人がいたら手を貸してあげることの出来る立派な人になるでしょう。そして遠く日本から来ていただいた皆様に感謝します。」
続いて、この地域の校長のトップ スパン氏
「タイと日本は同じです。王様も居ます。ご飯も食べます。私達はもっと日本の事を勉強したいです。日本語は難しいですが、子供達はこの図書館で日本語をしっかり勉強します。」
我々の挨拶です。

「我々は遠い日本という国から来ました。日本でも北のほうの地域で今は雪の降っている北海道札幌というところからこの図書館の最後の仕上に来ました。この図書館で沢山勉強してください。そして人のために手を貸して上げられる立派な大人になって下さい。日本とタイがこれからも仲良く出来て平和な国になりますように。」
そして最後にこの事業に最初から協力いただいた地球市民の会のウンユさんは、
「彼らは遠い日本という国からこの図書館を完成させるために来ました。もし図書館がなかったらタイ人は日本人のことを知らないでしょう。ココの人は日本語は話せません。だから子供達は恥ずかしいから身振り手振りそして笑顔で答えます。日本人はとても親切です。これからはタイと日本は友達です。」


最後に校長先生のペンシーさんでした。
我々にとても感謝している意の言葉とこの図書館に「日本の友達札幌昭和会」と名づけ是非、日本語の勉強をしたいとの事でした。

沢山の料理を出していただいた。当然さっきの牛も調理されている。こんなに感謝しながら食事したのは生まれて初めてなのかな。
その後村の長老による我々への祈りの読経が始まった。これは幸運と旅の安全を祈願する儀式でタイでも山岳民族と東北の地域に住む村の昔からの儀式で今ではこの儀式も一部の地域だけだそうだ。我々一人ひとりに村人から何本か重ねた木綿糸を腕に巻いて結んでもらう。この巻いた糸が自然に切れたり、解けたら、高い木の枝に結ぶと願いが叶うそうだ。その糸には村人みんなの暖かい心がこめられているようで、なんだか不思議な力を頂いたようである。

寄贈式も無事終了し午後から最後の仕上作業を行った。生徒達はこの図書館の最後の清掃作業をうれしそうに行っていた。

若くしてこの世を癌で去っていったNGO「ファンドフォー・タイフレンズ」ジャナロン氏の言葉は今でも忘れることが出来ない。
「貴方達は(胸に手を当て)心と(頭に手を当て)精神と(腕に手を当て)自らの手でこの事業を成し遂げた。ここウドンタニの小さな村の学校には皆さんが誇ることが出来る図書館がある。そしてこのすばらしい事業をどうか継続していただきたい」

この村を最後にする今夜は学校関係者と村人達とで大宴会になるだろう。
この村の最大のお祭り騒ぎかも。

別れの朝が来た。ペンシー校長はしきりにネックストイヤー・シーユアーアゲインと我々との別れを惜しんでいるようだった。生徒達も握手をしながら別れを惜しんでいる。
我々も名残惜しい気持ちでいっぱいだった。

小さな村の何もないカンボン村学校で我々は教わった。本当の心の豊かさや感謝する心、礼儀正しい行いと人を思いやることの出来る心、ほんの短い時間だったが、ここには沢山教えられる事があった。そして笑顔があった。決して今のお金では買えない幸せがあった。
一人ひとりの合掌と「コープンカー」「コープンカップ」心地よく耳に響きその笑顔は一生忘れることが出来ないであろう。



この事業にご理解頂き、ご支援いただいたたくさんの関係団体、関係者の皆様、札幌昭和会35周年記念プロジェクトは大成功いたしました。ご支援後協力に感謝申し上げます。

平成21年2月28日
札 幌 昭 和 会
会 長 中村 達也
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